4.竹居の秘密
竹居の家は古いアパートの二階だった。
私は多少びびりながら玄関をくぐった。狭い玄関にお姉さんらしき靴が無いことに気がついてまた泣いた。
「こっち」
竹居はもはや、私が泣いてることに構おうともしない。
玄関を入ってすぐ右の部屋のドアを開けた。
弟と共用の部屋のようで、二段ベッドのふもとにランドセルが転がっていた。
壁際の本棚に兄弟それぞれの教科書なんかが雑多に入ってて、部屋のまんなかにはちゃぶ台がひとつ。片づいているようないないような、六畳くらいの部屋だった。
「弟は?」
いてくれよ、弟。
「放課後サッカーしてっから」
「お、親は?」
「共働き」
というわけで、竹居の家にはほんとに誰もいなかった。
「お前、なんか飲む? 茶かコーラ」
客人に飲み物を出そうという気はあるらしい。
「コーラ」
答えると、マグカップに入ったコーラが運ばれてきた。
私はちゃぶ台の横に座って、ちびちびとそれを飲む。
「で、だ」
竹居はため息ひとつついて、コンビニで買った雑誌をビニル袋から取りだした。
だからっ! 部屋にふたりっきりの状況で水着の女の子の雑誌出すとかあり得ない。
「せ、セクハラ!」
「あーもう、うるせぇよ」
ほとほと嫌になったのか、竹居の私への扱いは雑になる一方だ。
竹居は私には目もくれず、黙々と雑誌のページをめくる。
巻頭グラビアを数ページめくったところで、その手を止めた。
カラーで写っているのは、四月だっていうのに布の少ない白い水着を着て、浮き輪を持って、ぺたんと座り込んで、上目遣いではにかんでいる女の子。
あ、こういう清純そうなのが好きなわけ?
とか、泣きそうな頭の片隅で思ったら、竹居がその子の顔をトンと指さして言った。
「これが俺の姉ちゃん」
「は?」
女の子をじっと見つめた。
手に持っていたマグカップが竹居に奪い去られた。
「お前、人の部屋でコーラぶちまけんな」
このさいコーラはどうでもよくて。
「……は?」
私が雑誌から竹居に視線をやると、竹居は気まずそうに目をそらした。
「だから。これが、うちの姉ちゃん」
再び雑誌に目をやる。写真の横にピンク色で名前が載っていた。
「……名字ちがくない?」
「ああ、芸名」
「あんたと全然似てない」
「んなこと言われてもな」
「二年前まではうちの中学にいたって」
「二年前に上京したわけ。俺は止めたんだけどな。どーせグラビアで使い捨てられて終わりだからやめろって。で、案の定こういう格好させられてるわけ」
「でも、全国紙でグラビアって、すごいじゃん……」
がん、と音を立てて竹居のマグカップがちゃぶ台に叩きつけられた。竹居の目が怒っていた。
「すごくねぇだろ。うち貧乏なのに仕送りまでして小学生の弟にまでしわ寄せがきて、その結果がこんなで、雑誌に載れば載ったで知らねぇ男たちに胸がどーの、ケツがどーの言われて、抜く材料にされて、そういう家族の気持ちなんか全然わかってねぇくせに将来のこと全然考えなくて、仕事忙しいから高校受験しねぇとか言い出すし、どうせ捨てられるのにお前は将来どうやって生きてくんだって、俺が言ったって全然聞きやしねぇただのバカだ」
まくしたてて竹居は黙り込んだ。それから雑誌のお姉さんを睨みながら付け加えた。
「だから沢野には悪かった。姉ちゃん生きてるから。変に心配させて悪かった。ガラス割ったのも俺が悪かった」
「あ、そう……」
私はなんだか呆然としてしまって、それから気が抜けて、泣いてしまった。
竹居のお姉さんが生きてて良かった。
竹居が悲しい思いをしていなくて良かった。
「まだ泣くか、お前は。どんだけ泣き上戸だ」
竹居が部屋の隅にあったティッシュを引き寄せて、箱ごとこっちに押しやる。
「あー、あー、俺が悪かったから。謝るから。これ以上泣くな」
私は何度も頷いて、だけど当分涙は止まりそうになかった。
だってほっとして。
ほんとに、ほっとして。
良かった。良かったよ竹居。
私がひとしきり泣き終わった後で、当初の課題に行き着いた。
先生からの課題は、今回のようなことを繰り返さないために、嘘をつき通すか、本当のことを言うか、お姉さんの話が出たらすぐにその場を立ち去るか、あらかじめ解決方法を決めておくこと。
ていうか、その前に。
「なんで、ガラス割るとこまで行っちゃったわけ?」
聞けば、竹居は行儀悪くあぐらをかいた上に頬杖ついて、顔をそむけた。どうやら言いたくないらしい。
「ちょっとあんた。こうなったらとことん話さないとしょうがないでしょうが。絶対他の人には黙ってるから、言いなさい。ほら」
促すと、しぶしぶといった体(てい)で竹居は言った。
「佐藤が、グラビアのほうの姉ちゃん知ってて、好きだって言い出して。他の奴らも、なんか知ってて。カワイイよなって」
「はぁ?」
「だから。お前にはわかんねぇだろーけど。好きってことはそういう、なんだ、夜のオカズになってるってことで。お前セクハラって言うなよ。そもそもオカズの意味わかるか? わかんなかったらネットで調べろ。親がいないときに。で、検索履歴も忘れずに消せ」
「あー、いや、わかる。なんかわかった」
話が微妙で、気まずい雰囲気になる。
先生。これでも私が相談相手の方が良かったんでしょうか。
「で、それだけ?」
「いや、なんかそのときはすぐ野口が話題そらしてくれて。でも兄弟の話になって。あいつら妙に俺の姉ちゃんに食いつくし、学校どこだとか。ひとりで上京してるとか言ったらあれだろ。全部話さなきゃいけないだろ。さっきのグラビアのやつだなんて言いたくねぇし、言ったらあいつらだって気まずいだろうし、その前にそもそもバレたくねぇし」
「あー、うん」
「そもそもグラビアの姉ちゃん好きだって言われて頭に血ぃのぼってたとこに、姉ちゃんどこにいんのって聞かれて、どーしたらいいのかわかんなくなって。姉ちゃんと将来どうすんだってケンカしたばっかだったし」
「あー、なるほど」
「全部ごちゃまぜんなって気持ち悪くなって。とにかくその話をやめろって、黙れって」
「で、ガラスを割ったと」
私の言葉に、竹居が頷く。
竹居のことを穏和だ穏和だと思っていたが、お姉さんの話に限っては我慢できないらしい。私にはリアルに想像できないが、竹居は男の実態を知っているだけに、お姉さんがオカズにされるのは弟として許せないのだろう。
あー、これはあれだな。
「このままだと、あんた、またやりそうね」
「……俺もそう思う」
ふたりして、深ぁくため息をついた。
先生、お題が難しいです。
「とりあえずお姉さんの行方はごまかそう。やりたいことがあって東京にいるってことで。嘘じゃないし。やりたいことは内緒か、よく知らないってことで」
竹居がもごもごと復唱した。
まぁこいつ頭いいし、そのくらいのごまかしはできるだろう。
「で、お姉さんのグラビアは、諦めなさい」
心を鬼にして、すっぱり言ってやった。
「諦めろって、お前、他人事(ひとごと)だと思いやがって」
竹居は非難の目つきだ。そんな目をされたって現実をみればしょうがない。
「だって竹居のお姉さん、私から見てもカワイイよ。これからもっと売れるかもしれないし、みんな年取ったらますますグラビア見るようになるだろうし。学校中に、グラビアのお姉さんを話題にするな、好きになるなってのは無理な話でしょ」
「無理だな」
不服そうに、竹居が同意する。
「だから、諦めなさい。あれは知らない人。誰かが、その、オカズ? にしても気にしない。っていうかむしろ竹居自身も好きなグラビアの人ってことにすれば? そしたら面と向かってグラビアのお姉さんが好きって言われたときに、『俺が好きなやつなんだからお前はオカズにするな』ぐらい言えるんじゃない? 男子ってそういうのカドが立つ?」
「いや……、お前と一緒のオカズは嫌だとか、言ったりするからな、実際。けど俺がグラビアの姉ちゃん好きって……」
ううう、と竹居が頭を抱える。
「想像できんっつーか、想像したくねぇ」
「想像しなくていいから。フリだから」
冷静に釘をさす。私の前で想像しないでよ。
「あー、でもあれだな。俺がグラビアの姉ちゃん好きだって広まったらワザワザ見せに来るヤツとかいそう。それはそれでヤだな」
ああ、それは確かにいそう。竹居、周りから慕われるタイプだし。
しかし注文多いな。意外とめんどくさいな、竹居。
「んーと、じゃあ、竹居はグラビアのお姉さんは嫌いってことで。オカズにするなって文句は言えないけど、目にする機会は減るかも」
「ああ、そっちのほうがいいな。つーかお前、オカズオカズ連発すんな」
「はぁ? 何でそこで私に文句言うわけ? 話が進まないでしょうが」
「そうだけどさぁ」
ぶつぶつ文句を言いながら、竹居が部屋を出ていく。
コーラの二リットルペットボトルを片手に戻ってくると、私と竹居のマグカップに注ぎ足した。
竹居の持ってきたコーラのラベルをみて、私の方が頭を抱える。
おいしいと思ってたら、このコーラ、やっぱ普通のコーラだったか。
できればダイエットコーラが良かった、なんて感想を抱く。
ああ、これで二杯目だよ。砂糖何杯分だ。一体何キロカロリーだ。
「何、頭抱えて」
「いやー、私ダイエットしてたのにコーラ飲んじゃったよと思って」
「は? お前軽くね?」
「何であんたが私の体重知ってんのよ」
「いや、知らねぇけど。蹴りが全然痛くなかったから軽いかと。あー、力がないだけか? そうかもな。三杯目飲むか?」
にやり、と竹居が意地悪そうに笑う。
「バカ」
竹居が座ったところで、その頭をはたいてやった。
まったくデリカシーのない男だ。
でもまぁ、とりあえず先生からの課題には答えられたか?
いけるか、これで?
「竹居さぁ」
「ん?」
「一応、これでいいと思うんだけどさぁ。もし、それでもキレそうになったらね」
「うん」
「キレる前に、私に一言、許可とりに来なさいよ。力ないけど、私が蹴り入れたげるから。そしたらちょっとは冷静になれるでしょ」
私を見返して、竹居がため息をついた。
「キレるときに許可とる余裕なんかねぇだろ」
「そりゃそうだけどさぁ。これだけ一緒に考えてあげたんだから、一言断り入れるくらいの筋は通しなさいよ」
「まぁ、筋っちゃぁ、筋かもな」
ふぅ、と竹居が天井を見上げた。
「約束ね」
念押しして、私は竹居に小指を差し出した。
「あー、約束な」
竹居がしぶしぶ、ごつい小指を絡める。
「破った場合はハーゲンダッツ、私が好きな時に、好きなだけ奢(おご)ること」
「げっ。お前太るぞ。知らねぇぞ」
「私の体重もあんたに賭かってるってことよ。頼んだわよ」
一度上下に腕を振って、小指を離した。
コーラを飲み干して、立ち上がる。
まだ窓の外は明るかった。
一人で大丈夫だから、と断って私は帰った。