8.おとなしくアイス食ってろ
下校時刻を過ぎても、外はまだ明るかった。
コンビニで、カップのアイスふたつとダイエットコーラを買った。
カンカン鳴る階段を上ってチャイムを押せば、ジャージ姿の竹居が出てきた。
「お前、また泣いてんの? ほんとよく泣くな」
顔をしかめながら、家に入れてくれる。
夕方七時過ぎだというのに、竹居の家には誰もいなかった。
竹居の胸のあたりにコンビニの袋を押しつける。
「アイス、ふたつ? あ、スプーン入ってねぇし。店員入れ忘れたな。お前も気付けよバカ」
バカって言われなくてもわかってるよ。自分がバカなことぐらい。
竹居の声を無視して、竹居の部屋のちゃぶ台にうつ伏せた。
涙が自分の腕を濡らしていく。
竹居が向かいに座る。
「とりあえず食え。溶けるから。アイス、お前のはどっちだ」
「……チョコミント」
うつ伏せたまま答える。自分の声がくぐもって聞こえた。
「あ、そう」
こっちに頓着せずに、竹居がバニラのふたを開けて食べ始める気配がした。
沈黙。私が鼻水をすする音が響く。
竹居がため息をついた。
「チョコミント、溶けるぞ。一回冷凍庫いれとくか? 食うか? お前はっきりしろ」
私は身動きしなかった。何も答えなかった。
竹居が諦めて、立ち上がった。冷凍庫を開けてチョコミントを放り込んで、閉める音がした。
再び竹居が向かいに座る。
「沢野。どーした。誰かになんか言われたか」
うつ伏せたまま首を振る。
「じゃぁ、何だ。無視でもされたか」
これもまた首を振る。
竹居はバニラを食べ終わったらしく、カップをちゃぶ台に置く音がした。
「ああ。生徒会か。あの先輩か?」
竹居が言った。
私は鼻水をすすって声を絞り出す。
「……フラれた」
「そうか。フラれたか」
竹居が冷静に言う。
くそう、繰り返すなバカ竹居。ひとの傷をえぐるな。
「そりゃ、泣くか。しょーがねぇな」
うつ伏せた私の腕に、竹居が固いものを押しつける。
「とりあえずティッシュ使え。人んちで鼻水たらすな」
うつむいたまま、押しつけられた箱からティッシュをとった。
ずび、と鼻をかむ。
「……ヒロキ先輩に、ひどいこと言わせちゃったよ」
「言わせた? 言われたじゃなく?」
「付き合ってるんですかって、聞いちゃって。ヒロキ先輩はカオル先輩を好きだけど、カオル先輩はそうじゃないって。付き合ってないって」
涙がぼろぼろこぼれる。竹居が呆れて私を見やる。
「はぁ。そりゃ、お前に有利でいいんじゃねぇの。なんでそれで泣くわけ」
「だって。傷つけちゃったよ。あ、あんなに優しくしてくれたのに」
あんな寂しそうな顔させちゃったよ。合わせる顔がないよ。
竹居がため息をついた。
「お前は、あれだな。前から思ってたけど、人のココロに反応しすぎだな。俺の姉ちゃん勝手に殺しといて泣くし。野口とか佐藤のことでも泣くし。もうちょっと鈍感に生きてもいいだろ」
「そんなこと、言われたって」
ティッシュで目を押さえる。
「まぁ、しょーがねぇか。お前が敏感なのは人としてイイコトだ。存分に泣け。で、アイス食って復活しろ」
竹居が台所からチョコミントとスプーンを取ってくる。
くそう、竹居が優しい。
チョコミントのふたを開けながら、相談してみる。
「明日から、どうしよう。ヒロキ先輩に合わせる顔がないよ」
「どうしようって言われてもな。お前、どうせ謝り済みだろ? だったら堂々としてろ」
竹居が仏頂面で言う。それから、記憶を探るように斜め上を見た。
「だいたい、カオル先輩ってあの美人だろ? 二年の書記の」
「うん」
チョコミントをスプーンにのせて口に運ぶ。
舌の上で、ひんやり、じんわり溶けた。
「で、ヒロキ先輩とやらと、名前で呼び合ってんだろ」
「……うん」
「そこで泣くな。最後まで話を聞け。おとなしくアイス食ってろ」
くそう、やっぱ優しくないよ。竹居。
ティッシュを取って涙をふく。泣きながらチョコミントを食べる。しょっぱい。
「だから。あいつら目立つだろ。付き合ってんのかなんて、どーせ、今までだって何回も聞かれてきただろうし、これからだって聞くヤツいるだろ。聞かれるたびにヒロキ先輩はカオル先輩にフラれてるようなもんだ。何回もな。だからヒロキ先輩だって慣れてるだろ。お前もその一回ってだけだ。二回目しないようにすれば、それでいい。気にすんな」
「……でも」
スプーンでぐずぐずとチョコミントを崩していたら、竹居が私の頭をはたいた。けっこう強く。
「お前がうじうじしてたら向こうが気にするだろ。余計に悪いだろ。だからお前は無理してでも気にすんな」
うう、なんだよ。頭いいな、竹居。
「……うん。……そうする」
チョコミントを食べ終え、涙をふいて、立ち上がった。
「竹居。ありがとーね」
「いいけど。お前、あんま泣くなよ。無理だろうけど」
「うん」
帰ろうと部屋を出たところで、玄関のドアが開いた。
「ただいまー! にーちゃん、腹へったー!」
靴を脱ぎ捨てて、ちっちゃい男の子が飛び込んでくる。
お姉さん似なのか、かわいくてびっくりした。小学二年生くらいかな。
竹居ってほんと姉弟に似てないんだな。
竹居の弟は、私を見あげて首をかしげた。
「にーちゃんのカノジョ?」
「いや。友達」
竹居が即座に否定する。
「えー、トモダチ? カノジョじゃないの?」
「じゃないの。沢野、お前、帰れ。こいつうるさいから」
弟の頭を手のひらでつかんで、竹居がしっしと手を振る。
「あー、ごめんね。遅くまで上がり込んじゃって」
ふと台所の方を見れば、まな板の上に、茄子が切りかけで転がっていた。
うわ。
そうだ、竹居の家は共働きって知ってたのに。
弟もおなか空いたって言ってるのに。
さぁっと血の気が引いた。アイスなんか食べて、私は何をのんきに。
「竹居、ほんとごめん。晩ご飯……」
「いいから。んなもんすぐ作れるから、気にすんな。明るいうちに帰れ、ほら」
竹居に追い出されて帰った。
自分のバカさ加減がほとほと嫌になった、そんな日だった。