12.相談
「お前、何しに来たわけ?」
野口くんの相談事を聞いた後。
竹居の家の、竹居の部屋で、ちゃぶだいの横に座っていた。部屋に来てから三十分くらい経っていた。
「いや……」
曖昧に答えを濁(にご)す。
相談をね、しに来たんだけど。
なんか、言いづらいというか。
「あの、ね」
何度も言おうとするんだけど、そのたびに言葉に詰まる。
どうしたらいいんだろうね。
「お前な。何回目の『あのね』だ」
「うん……」
何回目だろうね。
なかなか話を始めない私に早々と見切りをつけて、竹居はちゃぶ台の上で、数学の課題プリントを解いている。
同じ課題プリント出てるなぁ。私もカバンからプリントを取り出す。
あ。筆箱、教室に忘れてきた。
「竹居、シャーペン貸して」
「ああ?」
「……貸してください」
竹居が無言で、自分の筆箱からシャーペンを一本取り出してこっちに転がす。
私は、はぁ、とため息をついてプリントを解き始める。
全く集中できず、一問目からわからなくて、竹居のを眺めた。
目ざとく叱咤が飛んでくる。
「カンニングすんな」
「いや……」
カンニングしてないよ。
うーん。
解くのを諦めた。膝をかかえて、天井を仰いだ。
「あのさぁ、竹居さぁ」
竹居だったらどうする?
結局言い出せずに黙った。
沈黙の後、再び声をかける。
「あのさぁ……」
「さっきから何だ。無駄に呼びかけんな。話す気になってから声かけろ」
容赦なく切られる。
「うん……」
背中側にある、竹居のベッドに頭を預けて、お腹に手を置いて、天井の模様を眺める。
あー、どうしたらいいんだろ。
どうしたらいいのかな。
悩んでいるうちにどんどん時間が過ぎる。
本棚の上の時計を見る。
六時五十分。
夜七時になったら竹居は晩ご飯を作り始める。だからあと十分で帰らないと。
でも、十分で済む話かなぁ。違うよなぁ。
その姿勢のまま十分過ごした。
ああ、時間切れだ。
体を起こして、数学のプリントをカバンにしまい、立ち上がる。
「帰る」
「ああ。帰れ」
竹居はそっけない。ちゃぶ台の上の竹居の数学プリントは、解き終わっていた。
「今日の晩ご飯、何にするの?」
「さぁ。豚肉があるけど」
「あ、そう……」
部屋を出て、玄関の取っ手に手をかける。
後ろから、呆れたように竹居が言った。
「お前さぁ。バカだろ」
「うん……」
今日ばかりは否定する気になれない。
相談しに来たのに結局何も言い出せず。
「私、ほんと、何しに来たんだろうねぇ……」
これは、あれか。
竹居に相談すること自体、間違ってるのか。
でもこれまでも竹居に相談してるしな。
うーん。
わかんないな。
はぁ、とため息をついて帰った。
翌日も竹居の部屋で同じことを繰り返し、三日目の訪問に至って、さすがの竹居も嫌な顔をした。玄関のドアを開けたままで、聞かれる。
「お前さぁ。三日連続って何なわけ? 暇なわけ?」
「いや、暇じゃないんだけどね?」
生徒会を早退してまでここに来てる。そろそろ真面目に働かないとまずい。
竹居も怒ってるし、何より、野口くんの相談に結論を出さないといけないくて、いろいろ、リミットだ。
「今日は言うから。ちゃんと相談するから。入れてよ」
手を合わせて竹居を拝む。
だって、一人で考えても答えが出ない。
学校からの帰り道、どうしても足が竹居の家に向いてしまう。
野口くんのことだし、やっぱり竹居に相談するしかない。
「言うか完全に黙ってるかどっちかにしろ。いいな」
相談するって言ってるのに。
あー、信用されてないな。
竹居の後についてすごすごと部屋に入れてもらう。
本棚の上の時計を見る。午後六時。
あと一時間。
言えるか。
っていうか、言わないと。
竹居がちゃぶ台の前に座ってあぐらをかく。
私はちゃぶ台の横に座って、膝を抱えてうつむいた。
竹居の顔がまともに見れない。
でも言わないと。
「こ、告白をね、されまして」
話を切り出した。
「はぁ。お前、そういうの初めてじゃねぇだろ」
うん。初めてではない。
中学の頃も何度かあって、それは割とすんなり断ってきた。竹居は全部知っている。
でも。
「その、相手がね。相手がまずいっていうか」
カバンから水筒を出してお茶を飲む。
ちょっとしか入ってなかった。飲んだらなくなった。
飲み物なしにこの話はキツいな。
「お茶ください」
水筒を竹居に差し出す。
「うちはファミレスじゃねぇぞ。ったく」
文句を言いつつ、竹居は私の水筒を持って部屋を出る。
しょっちゅう来るので、私はいつからか客人扱いされなくなっていて、竹居の部屋に来ても、お茶もコーラも出されなくなっていた。
「ほれ」
水筒を返される。半分くらいお茶が入っていた。
水筒に入れてもらうのは、一応、竹居家の洗い物を増やさないようにという配慮なのだが、果たして竹居に通じているのかどうか。
「ありがと」
お茶を飲む。麦茶だった。
「で?」
面倒くさそうに、竹居が話の先を促す。
「おととい、でね。その、告白されたのが」
「ああ」
「返事はいつでもいいって言われたんだけど、あんまり待たせるのもどうかと思ってね」
「まぁ、そうだな」
本題に入れない。
だから。
言わないと。
膝に額(ひたい)をつけて、口ごもりながら、白状する。
「相手が、その……、野口くんでね」
「ああ」
え。
ちょっと、竹居。何その冷静な反応。
思わず顔を上げて竹居を見た。
「野口くん……、びっくりじゃない?」
「いや、別に」
なんだか竹居はいつも通りの表情で、そのことにびっくりした。
「野口くんって、あの野口くんだよ? ご近所の」
念を押して言ってみる。
「わかってっけど。別におかしくはないだろ」
「え……」
そうなの? おかしくないの?
ため息が洩れる。
「ねぇ。どうしたらいいと思う?」
「さぁ」
竹居の返事はその一言だけで、首をかしげもしない。
その顔はどうも、何にも考えてなさそうだった。
「冷たいよ、竹居。一緒に考えてよ」
「お前のことだろうが。知らねぇよ」
「お姉さんのこと一緒に考えてあげたじゃん!」
「その恩な、そろそろ逆転してるだろ。お前の相談の方がよっぽど多いわ」
うう。
そりゃおっしゃる通りですが。
「だって、好きな人がいてもいいって言うんだよ!?」
「はぁ」
何その、どうでもいいような返事。
「ちょっと、真面目に聞いてよ!」
声を荒げる。
こっちは真剣に悩んでるんだってば。
「うるせぇな。聞いてるだろ。文句あるなら帰れよ」
言い捨てて、竹居が部屋を出ていく。
うう、ひどすぎる。
涙目になってたら、竹居がマグカップを持って戻ってきたから、ほっとする。
竹居のマグカップの中で、炭酸がはじけてた。
自分だけコーラか。相変わらずひどいやつだ。
竹居がコーラを飲みながら聞く。理解不能、という顔で、
「あのさぁ、何が問題なわけ? 何に悩んでんの?」
「何って」
「だから。付き合うか断るかだろ。二択だろ」
二択。たしかに二択だ。しかし。
「私、ヒロキ先輩が好きなんだよ。でも、野口くんは、好きな人がいてもいいって。付き合ってるうちに好きになってくれればいいからって」
今でもヒロキ先輩はカオル先輩が好きで、あのふたりは付き合ってないけど、それでも私には、叶う見込みが、ないんだよ。
だから、野口くんに逃げるのもありかなって。
でも、そんなふうに逃げるのは野口くんに悪いかなって。
そうやって私が洗いざらい気持ちをぶちまけるのを、竹居は黙って聞いていた。
聞き終わって、言った。
「野口に逃げるのは、アリだろ。野口がそれでいいって言ってんだから」
ひとつため息ついて、言い足した。
「けど、お前、野口のこと、そもそもどう思ってんの? そこがまるごと抜けてんだけど」
野口くん、の、こと。
「優しい。誠実。尊敬してる。戦友。竹居の友達。……大事にするって、言ってくれた」
―――沢野のこと、大事にする。
いつもふんわり優しい野口くんが、真剣に言ってくれた。
だから。
「……断れない……」
涙が出る。
竹居が冷静に尋ねる。
「何で?」
何で?
「……大事な友達だから……」
友達だから、断れない。
「お前さぁ」
竹居がぼそりと言った。
「やめれば? そういう、人の気持ちばっか優先する癖。友達だから断れないって、どういう理屈だ。変だろ」
「……うん……」
野口くんなら、きっと優しくしてくれる。
言葉通り、大事にしてくれる。
頭ではわかってる。でも気持ちがついていかない。
こんな状態で付き合えない。
「断ったらさぁ、友達じゃなくなるのかなぁ……。話とか、できなくなるのかなぁ。もう、笑ってくれないのかなぁ」
あのふんわりした笑顔は、もう、見れないのかなぁ。
泣き出した私に向けて、竹居がちゃぶ台の上の箱ティッシュを指で弾いた。箱ティッシュは勢いよく私の膝にぶつかって止まった。
なんでそんなに雑なのよ。
「大丈夫だろ。野口は、そんなヤワじゃねぇよ」
竹居は優しくない。無愛想でぶっきらぼうなのに、答えはいつも的確だ。
「……うん……」
「むしろ、危ねぇのはお前の方だ。お前は普通にしてろ。泣きながら断るようなまねはするな。野口が気にするから」
「……うん……」
できないよ、そんなの。
絶対、泣く。
ず、と鼻水をすすったら、竹居が言った。
「まぁ、無理だろうけどな」
くそう、読まれてる。
後は何を話すでもなく、そのまま竹居の部屋にいた。夜七時になって、私は帰った。