1.生徒会のポンコツ
1.体育祭二ヶ月前、火曜日
その日、生徒会室に入ってきた人物を見て、ホワイトボードに日程を引きながら俺と話し込んでいた沢野がぎょっとして声を上げた。
「の、乃亜ちゃん! 中村さんのインタビュー今日でしょ!?」
乃亜(のあ)と呼ばれた本人は、きょとんとした。生徒会室にかかっているカレンダーに目をやり、さっと青ざめる。
「す、すみません今日でした! いいい行ってきます」
慌てて駆けだそうとする腕をつかんで沢野が引き留める。
「だめ、先に電話! 謝って先方の都合聞いて、今から行ってもいいか、別の日にした方がいいか聞いて」
「あああ、はいっ」
上田乃亜。生徒会に入って半年経つというのに未だ仕事に慣れない女子生徒が、机に飛びついて書類をめくる。
相手先の電話番号を発見したらしく、自分の携帯から電話をかける。
「あ、あの、すみません、今日インタビューのお約束をしている上田です、あの、すみません」
あたふたするばかりで話が先に進まない様子を見かねて、沢野が上田から携帯電話を取り上げた。インタビューの場所と時間をプリントアウトした書類を見ながら落ち着いた声音で話し出す。
「生徒会書記の沢野と申します。申し訳ありません。日程を勘違いしてしまいまして。……はい。今からお伺いしてもよろしいでしょうか。四十分程度かかってしまうのですが。……はい。本当に申し訳ありません。場所は変わらず、ホテルのラウンジで。……ありがとうございます。すぐに向かいます。到着しましたらまたお電話いたします。失礼いたします」
沢野が安堵した表情で電話を切り、上田を安心させるように、にっこり笑う。
「乃亜ちゃん、セーフ。今から行ってもいいって。ホテルに着いたら中村さんに電話して。落ち着いてね」
「は、はい」
泣きそうな顔で、上田が沢野から携帯電話を受け取る。
「行ってきます」
「ちょっと待った。ICレコーダは? ノートと質問書類、持った?」
「す、すみません。持ってません」
上田が備品棚に向かった途端、沢野が険しい表情で俺を見上げた。
「会長。やっぱり私も行く。打ち合わせ頼んだ」
上田は仕事のミスが多い。沢野の心配はよくわかる。
しかし、これから体育祭の打ち合わせだ。主力の沢野が抜けるとまずい。俺は生徒会室の隅でノートパソコンに向かっていた一年生を呼ぶ。
「黒石!」
「はい」
顔を上げた黒石が立ち上がる。来年の生徒会長はこいつだな、と目をつけている有望株だ。
「上田についてってやれ。中村さんのインタビューだ」
上田が散らかした机から中村さんの著書と書類を拾い上げて、黒石に渡す。
「電車で目を通しとけ。ざっとでいい。あと質問もお前がリードしろ。場所はこれ見ろ。終わったら直帰でいい」
「了解しました」
本と書類を受け取った黒石が頷く。
「上田ぁ、ICレコーダみつかった?」
そんな声をかけながら上田に近づく。黒石が一緒ならまぁ、大丈夫だろ。
沢野が、かすかにため息をついた。
「会長ごめん。管理ミス。文集に大穴空くとこだった」
「いや。お前、ちゃんとやってたろ」
―――乃亜ちゃん、中村さんのインタビュー明日だからね。
念を押す沢野を、昨日、見ていた。
上田は頷いていたはずだ。昨日の今日で、なぜ忘れる。
「切り替えろ。打ち合わせいくぞ」
「うん」
生徒会業務のベテラン、沢野の目が強い光を帯びた。
うちの高校では二年生が生徒会役員および各委員会の委員長を務める。八月初旬、体育祭を二ヶ月後に控えて生徒会が忙しくなり始める頃だった。進学校ゆえ、夏休みも夏期補修という名の通常授業が行われる。
インタビューは、三年生の卒業文集に掲載するためのものだ。インタビュー相手の中村さんは、うちの高校の卒業生だ。本来ならば体育祭が終わって落ち着いた頃に話を聞きたいところだが、海外で活躍する彼女の一時帰国に合わせて、日程を今日に設定していた。
一時帰国中も寄付金集めの為の講演会や日本事務所との打ち合わせで忙しい中村さんと、メールで何度もやりとりをして決めた日程のはずだった。
それを忘れるとは、上田のうっかりぶりは目に余る。
上田は実務上書記に所属している。上田の面倒をみているのは生徒会役員・書記の沢野だ。部下のミスは、上司の責任。その教えは、うちの生徒会で脈々と受け継がれている。
上田のミスは沢野の責任、そして最終的には生徒会長である俺の責任だ。
生徒会室は狭い。通常の教室の半分程度しかなく、大人数で打ち合わせするにはスペースが足りない。体育委員長含め、十数名で、会議室で体育祭の新競技の案出し会を終え、生徒会室に戻る。
夜七時。いつもこの時間に、生徒会メンバーおよび行事関係者の意思疎通を図ることにしていた。部活は一律夜七時までと決められているが、試合前等に限り夜八時までの延長が認められる。延長届けの提出先は生徒会だ。そして人手不足の生徒会は常に臨戦態勢で、会長である俺自ら毎月延長届けを出し続けている。
ぱんぱん、手をたたいて全員を集める。
「はい、集合!」
生徒会と体育委員会のメンバー全員が立ち上がり、集まって輪を作る。総勢二十名弱。
「今日中の仕事、終わってない人ー?」
俺の呼びかけに、男女一人ずつ手を挙げた。順に終わっていない内容を述べる。
打ち合わせ議事録と、文化祭の収支報告。
「議事録は明日でいい。収支は俺と一緒に報告。他に間に合わなさそうなのは?」
体育委員の女子が一人手を挙げる。体育祭の来賓への招待状送付。
「それはまだ時間がある。大丈夫。吉岡、来週中に送付できるようにフォローして。危なかったらまた声かけて」
指示された女子と、体育委員長の吉岡が頷く。
「他、危ないのは?」
全員の顔を見回すと、各自頷いた。これなら大丈夫か。
「そしたら、今日は解散! 俺と水原のみ残り。おつかれ!」
お疲れさまでした、と皆が頭を下げる。
仕事は効率よく。帰れるときは、さっさと帰る。それが今年の生徒会の方針だ。
生徒会役員・会計の水原から文化祭の最終収支報告書を受け取ってチェックし、一緒に生徒会顧問へ提出に行く。顧問はあれこれ言わない人なので、水原が簡潔に説明するだけで済んだ。
「文化祭、やっと片づいたな。水原おつかれー」
伸びをする。文化祭そのものは一ヶ月前に終わっていたが、出店した全クラス・各部活からの収益報告待ちや領収書チェック、実際の残金と書類上の金額合わせに時間がかかっていた。
「ほんと、やっとよぉ」
ほう、と水原がため息をつく。
「ま、問題なかったし、良かったじゃん。上出来」
女子にしては背の高い水原の頭を、ぽん、となでる。ついでに言っておく。
「んじゃ、明日から水原は体育祭でフル回転な」
水原が嫌そうな顔をする。
「休みちょうだいよぉ、会長。頭リセットしなきゃ」
「えー」
首を左右に傾けて、俺は算段する。
「じゃ、一日だけ」
会計の水原がいないと体育祭の新競技も予算面で決まらない。
「三日は欲しいなぁ」
しれっと抜け目のない水原のことだ。どうせそんなことだろうと思った。狙い通りの要求に、にやりとして返す。
「間とって二日ー」
これならまぁ許容範囲内だ。水原が呆れて言う。
「読んでたでしょ。会長ひどい。じゃ、二日ね。お休みしまぁす」
「はいよ。またな」
手を振って水原と別れる。一人で生徒会室に戻って戸締まり点検をし、部屋の鍵をかけた。最後に残るのは上のやつ。これも生徒会の伝統方針だ。
俺もたまには休みが欲しい、などという贅沢な望みが頭をめぐって、いかん、と振り払う。
ドアノブから鍵を引き抜いたとき、後ろから呼ばれた。
「か、会長」
声の方を向けば、そこにいたのは上田だった。
「ああ、インタビューおつかれ。直帰していいって黒石から聞かなかった?」
「あの、聞いたのですが……、すみません、私、ほんとうに」
上田は泣きそうな、というか、もう既に泣いた目をしていた。
「なに泣いてんの。インタビューできたんだろ。セーフだって」
上田の頭をなでる。
「はい、でも、あの、すみません。沢野先輩には、さきほど校門のところでお会いして……謝ったのですが」
「謝らなくていいから。上田のミスは沢野の管理不足。ひいては俺のチェックミス。な?」
小柄な上田に合わせて少しだけかがむ。
「……すみません」
ぼろぼろ泣き出した上田に内心嘆息する。
これはメンタル面でフォローが必要か。
「ちょっと待ってて」
言い置いて、職員室に生徒会室の鍵を返しに行く。廊下に戻り、泣いている上田に聞いた。
「上田って彼氏いるんだっけ」
泣きながら上田が目をあげる。
「い、いません」
「そう。じゃ、ちょっと話そうか。マック行こ」
最終下校時刻の夜八時が近い。もう学校にはいられない。
「あ、あの、私、今日、お財布を家に忘れまして」
おずおずと申請された上田のうっかり具合に軽くカルチャーショックを受ける。
インタビューに一人で行かせなかったのは正解だった。駅について財布がないことに気づいたら引き返すつもりだったのか。学校から駅まで歩いて十五分だ。二度も遅刻したらさすがに中村さんも怒るだろ。
叱りたくなるのを抑えて、なんとか笑ってみせる。
「奢るから。ほら、行くよ」
「……はい」
歩き出した俺の後ろを上田がついてくる。上田、歩くの遅い。身長差か。仕方ないか。
内心ため息をついて、上田に歩調を合わせた。
学校近くのマクドナルドで、二人分の飲み物を注文する。トレイを持って席へ行く。
「会長、すみません。ほんとうにすみません」
何度も謝る上田がいい加減うざくなってくる。
沢野。お前、よく面倒みてるよ。俺なら直属にこいつがいたらキレるわ。
「だから、いいって。座りな」
口調が若干荒くなる。上田が慌てて向かいに座る。縮こまったまま紙のカップに手を伸ばさないので、俺は仕方なく上田のバニラシェイクを目の前に置いてやる。自分のアイスコーヒーを取って一口飲んだ。
苛立つ気持ちを落ち着けて、なるべく穏やかに聞く。
「インタビュー、どうだった?」
「あの、優しい方でした。お、怒らないでくださって、生徒会大変だよね、って」
「うん」
聞きたいのはそういうことではなく、ちゃんと深い話が聞けたかとか、何ページ分の記事にできそうか、ということなのだが。
沢野に聞けば一発で的確な答えが返ってくるだろうが、上田には通じないか。これまた内心嘆息する。
「とても、強い方でした。お話できて、勉強になりました」
上田の勉強になったかどうかなんて、ほんとにどうでもいいんだけど。
果てしなく俺の要求とずれている話を聞くより、いっそもう現物を聴いた方が早い。
「そっか。良かったね。ICレコーダ、持ってる?」
「あ、はい」
上田が自分のカバンを開ける。
「なくさないように、きちんと……えっと」
いつまでも探しているので、まさかなくしたんじゃないだろうな、と顔がひきつる。
一台いくらだと思ってんだ。つーか、インタビュー内容パアにする気か。
黒石。お前、こいつからICレコーダ取り上げとけよ。罪のない後輩に内心毒を吐く。
「あ、ありました。すみません」
結局、ICレコーダは上田のスカートのポケットから出てきた。
差し出されて受け取る。これはもう俺が保管した方がいいな。上田には返すまいと決意する。
「ありがと。家に帰って聞いてみる」
礼を言うと、上田が聞いた。
「あの、会長、私……、私はやはり、ご迷惑、でしょうか」
何のことだ。目で話を促すと、上田が呟く。
「ミスばっかり、で……。生徒会、やめたほうが、いいのかと」
自覚はしているのか。やめたほうがいいと言うほど思い詰めているなら、なぜうっかりが直らない。
沢野の指導不足か。しかし、中学から生徒会をやり、鬼の先代書記に鍛えられたあのベテランに限ってそんなことはないはずだが。
「んー……」
生徒会長としては引き留めるべきだな、どこか誉めるか。そう思うものの、上田の誉めポイントが見あたらない。仕事は真面目にやっていると沢野から報告を受けているが、俺が他のやつに聞く限り、ミスのほうが多い。
上田。上田のいいとこねぇ。
思いつかないので、時間稼ぎに聞いてみた。
「上田は、なんで生徒会に入ったの?」
上田が俯く。
「中学の時に、この高校の体育祭を見ました。応援合戦を見て……それで、憧れました」
「そっか」
そもそもそこが間違っている。
応援団の男女が華やかな衣装を着て踊り、赤青黄、各組の生徒たちが色とりどりのパネルを掲げて動く絵文字を作る応援合戦はうちの体育祭の目玉だが、生徒会メンバーはそれには加わらない。一応各組には所属し、単発競技にはかろうじて参加するものの、裏方として粛々と体育祭を進める役目だ。点数集計やらなんやらで、とても応援合戦には参加できない。
応援合戦に憧れているなら、生徒会なんかやらないほうがいい。
こいつはそれをわかっているのかどうか。どうするかな。考えていると、上田が頭を下げた。
「私、中学の時、野球部のマネージャをやっていたのですが、使えないって、やめさせられました。ですので、生徒会も……すみません」
やめさせられるとはまた不穏当だな。たかがマネージャの分際で、どんだけやらかしたんだ。
他人の不幸事はおもしろいので、迷惑を被ったのが誰なのか聞いてみる。
「それ、誰にやめさせられたの?」
「顧問の先生、です……。試合の日程や場所を間違って伝えて、練習試合を、つぶしてしまって。何回も、同じことをしてしまいました」
「へぇ」
先生、ナイス判断じゃないですか。
しかし、俺は生徒会長なのだ。有志募り型のうちの生徒会で、無償でわざわざ裏方業務をやってくれるという生徒は貴重な人材だ。
どんなに間抜けでも、一人たりとも失うわけにはいかんな、という判断をした。どうしても応援合戦に参加したいというなら、体育祭当日の役目を軽くして、応援合戦に参加できるようにしてやればいいか。
考えに考えて、上田のいいところを、ようやくひとつ思いついた。
「上田。生徒会、続けようよ。上田がいるだけでいいことあるし」
上田が俯いたまま呟く。
「ほんとうに、いいことが、ありますか」
「ある。名前」
え、と上田が顔を上げた。
「名前がさ、乃亜じゃん。ノアって希望の箱船だろ。いいことありそうじゃん。上田、生徒会のお守りな」
お守りっつーか、悪霊か。こらえきれなくなって俺は遠慮なく笑った。アイスコーヒーを一口飲んだ。
俺の笑いを違う意味にとったらしく、上田が赤くなった。
「ありがとう、ございます。会長は、優しいですね」
「あ、そう? ありがと」
別に優しくないけどな。
優しくした方がうまくいくなら優しくする。冷たくした方が早いなら突き放す。生徒会長として仕事優先、効率第一。それだけなんだけどな。
でもまぁ、たまには息抜きするか。上田。お前、いいオモチャだわ。
何を言っても逆(さか)らいそうにない上田に、上から目線で言ってみる。
「上田、彼氏いないんだろ。だったら俺、お前のこと名前で呼ぶわ」
「は……、はい」
「ノア」
気づきやしないだろう。カタカナのつもりで言ってやる。
「いい響き。気に入った。お前、ノアな。箱船。お守り」
自分が名前をつけたような気分になって、俺は笑う。
「あ、はい」
ノアは俯いた。
「あの、がんばります。沢野先輩みたいになれるように」
「がんばらなくていい。お前はそのままでいい。ノアのままでいい」
お前はそのままでおもしろい。
「そう、です、か」
「うん」
手を伸ばしてノアの頭をなでる。ペットみたいだな。
沢野の手に余るなら、このポンコツを俺がどうにか使いこなしてみるか。
さてどうするか、頭の中で算段した。