9.ヒロキ先輩の、裏の顔

 さくら色 

 私と睨み合った一件の後、田川はクラスから孤立した。もともと、うちのクラスの男子は竹居と野口くんを中心にゆるやかに集まる一団と、ゲームやアニメが好きな数人の二手に分かれているだけだった。その二組だって、別にいがみ合っているわけではなくて、趣味の違いから自然と分かれていただけだ。
 竹居がキレそうになった後、野口くんが平然と竹居側に付いたこともあり、男子たちはそのまま竹居側に残った。田川が私に雑誌を投げつけたことと、殴りかけたことは、男子としても「あれはさすがに田川が悪い。そんで沢野は強え、逆らうな」という結論に落ち着いたようだった。
 女子はテンション別に四グループに分かれているものの、どのグループも田川に批判的だ。もともとの評価がそんなに高くない上、私に手を上げかけたことで、田川の評判は地に落ちた。田川に向かって直接何か言ったりはしないものの、田川を避ける子と、冷たい態度をとる子がほとんどだ。
 田川は、昼休み、ひとりでお弁当を食べてはそそくさと教室から出ていくような生活をしていた。たまに同じ野球部の佐藤が声をかけていたけど、田川はかえって竹居側に残った佐藤を威嚇して追い返すような有様で、どこまでガキなんだかと思いながら、私は教室内の勢力を観察していた。
 別に誰も、田川に嫌がらせはしなかった。ただ、田川が勝手に一匹狼になっただけ。そんな状態だったが、和気あいあいとしていたクラスの雰囲気は確実に落ち込んでいた。なんとなくみんなが田川の行動に注意を向けていた。
 そんな嫌ぁな状況が一週間ぐらい続いていた。
 その日の昼休みも、田川が教室から出ていったのを見て、ユミちゃんがため息まじりに言った。
「マコさぁ。田川、なんとかしてやれない?」
「ユミちゃん、あれは田川が悪いんじゃん!」
「そうだよ、自業自得だよ。マコ殴られるとこだったんだよ。田川、ほんと信じらんない」
 ユミちゃんが言った途端に、一緒にお弁当を食べていた他の二人が言い募(つの)る。
「いや、確かに田川が悪いよ。でもクラスの空気が重いじゃん。こういうのイヤなんだもん。体育祭、もうすぐだよ? クラス対抗リレーとか盛り上がりづらくなるし」
 ユミちゃんがお弁当箱に目を落とす。
 そうだよねぇ。私は卵焼きを飲み込んで言った。
「私も、なんとかしたいとは思ってるんだけどね。田川のことは私の手を離れちゃったっていうか。私が田川になんか言うと、田川、かえって反発するだろうし。ちょっと、手出しできないんだよねぇ……」
 かといって、ユミちゃんたちに田川をなだめる役なんかさせられない。
 田川が逆ギレして女子を殴ったりしたら、それこそ取り返しがつかない。
 おじいちゃん先生に言うのも、なんか違うし。
「そもそも、田川がキレたのって、男子のボス山クーデターだから。男子の問題なんだよね……」
 ああ、そろそろ竹居が田川を回収してくれないかなぁ。でも相当怒ってたしな。
 あの睨み合いで私が謝ったとき、田川も一言謝ってれば、ここまでひどくならなかったと思うんだけど。
 くそう、田川。ガキめ。
「竹居と野口くんには相談してみるけど、竹居が結構、怒ってて。田川が折れてくれれば一発で終わる話なんだけど、それもなさそうだし。すぐに、どうにかできるか……」
 私がぼやくと、ユミちゃんがくすりと笑った。
「まぁ、マコにあれだけのことしたんだから。竹居くんはそりゃぁ怒るよね」
 ユミちゃんの言葉に、他の二人も「ねぇ」と笑い合う。
 ええと。
「それは、どういう」
「田川の、デキてんじゃねぇの説。あれはちょっと当たってたなーって」
 ユミちゃんが机に肘をついて、お箸をこっちに向けながら、爆弾を投げてくる。
「マコどんかーん」
「どんかーん」
 他の二人も口を合わせて言う。
 ちょっと待った。知らず、顔がひきつった。クラスの女子にも誤解されてるのか。
 あたふたと言葉を返す。
「あのね。私と竹居、そういうんじゃないから。私、竹居をそういう目で見てないよ。そもそも、竹居の私に対する扱いって相当雑だよ? あいつ私を男扱いしてるよ。見ててわかるでしょ?」
 エーブイとか、平気で言うし。
 私の失恋話、平然と聞く上に、頭はたくし。
「えー、そうかなぁ。まぁ、マコにその気がないのはなんとなくわかるけど。竹居くんはどうだかねー」
 ねー、と他の二人も笑顔で攻めてくる。
 いやいや、ありえないから。
 変な方向に行ってしまった話に内心頭を抱えながら、なんとか話を田川に戻し、とりあえず三人には、田川に普通に接してくれと頼んだ。
 他の女子グループにも、同じように話しておく。私はもう怒ってないから、田川を許してあげて欲しい、って。
 私にできるのって、このくらいだ。
 ああもう、学級委員とはいえ、なんで田川をフォローしなきゃならんのか。
 あとは、男子のほうは、竹居がなんとかしろ。
 私の相方だろ。
 怨念のこもった目で、昼食を終えてグラウンドで男子たちとバスケやってる竹居を睨んだ。
 
 
 その日の放課後、相変わらず生徒会室で仕事に忙殺されていると、ふらりと竹居が現れた。
「竹居、どしたの? なんか係だっけ?」
 書類片手に聞くと、竹居は首を振るでもなく「いや」と一言だけ無愛想に返す。
 ほら、こんなだよ、こいつ。
 ユミちゃんたち、勘違いだよ。まったく。
 竹居は、私の向かいに座っているヒロキ先輩に近づいた。
「先輩に頼みがあるんですけど」
 なんだ。私の失恋話蒸し返す気か。
 ぎょっとして思わず立ち上がる。
 竹居が私に気づいて手で制した。
「お前の思ってるよーな話じゃねぇから。座ってろ」
 はぁ、そうですか。
 座り直して書類にとりかかる。気になって二人の方を見てしまう。
 体育祭まで一週間を切っていて、生徒会の偉い人たちは別室で打ち合わせをしていた。生徒会室にいたのはカオル先輩のアシスタントのヒロキ先輩と、下っ端の私だけだった。
 ヒロキ先輩が、読んでいた書類を机に放った。斜め上の竹居を見やる。
「頼み? ナニ?」
 冷たい声に、びっくりした。
 いつも私にかけてくれる優しい声と、全然違った。
 生徒会メンバーと話す時の、穏やかで明るい声でもない。
 なんで。
 そいつ、仏頂面がデフォルトだから、悪気ないですよ。
 フォローしようとしたけど、竹居とヒロキ先輩の一触即発の空気に気圧(けお)されて言えなかった。
「竹居くんってさぁ、マコちゃん泣かせるキッカケ作っておいて、しかも肝心なときに守れなかったヤツっていう認識なんだよね。俺の中で。はっきり言ってキライなんだよね」
 その物言いに、唖然とする。
 ヒロキ先輩、人格ちがくないですか。二重人格ですか。
「先輩にどう思われようが構いません。その認識、合ってますし」
 冷静に、竹居は返す。
「あ、そう。自分でもわかってんのね。で、頼みはナニ?」
 ヒロキ先輩が、じっと竹居を見る。
「田川に一日部活を休ませたいんです。沢野の件で穏便に話をしたいんで」
「いつ?」
 間髪入れず、斬り込む調子で返された質問にも、竹居は怯まない。無愛想なまま言った。
「できれば早く、明日にでも。あと同じ日に沢野も貸してもらえませんか」
 ヒロキ先輩が低く笑った。
「急なこと言うねぇ。でもそういうことならまぁ、いいよ。言っとくけど、見返り高く付くから覚悟しなよね。そこ座ってな」
 私の隣を指さしてヒロキ先輩は立ち上がり、生徒会室の隅っこにある内線電話をとった。
「もしもーし。阿部さん? 真野です。図書委員長の。久しぶり。今、そこに部長いる? 伝言、お願いできる? ……うん。急ぎ。本の返却が遅れてるから、折り返し電話してって。……うん。本。言えば伝わるから大丈夫。内線番号、いい? 生徒会室。サンマルハチ。ごめんね、急ぎで。よろしくね。ありがと。じゃぁまた」
 いつもの陽気な声と笑顔で話す様子に、あっけにとられる。
「はい、マコちゃんは仕事するー。カオルに怒られるよ」
 ヒロキ先輩は竹居を無視して、私に笑顔を向けた。
 私はあわてて書類に目を落とす。内容が、全然、頭に入ってこない。
 すぐに内線電話が鳴った。コール一回で、ヒロキ先輩がそれを取る。
 さっきよりもワントーン落とした声で応えだす。
「高崎? ……そう。お前に貸した数々の恩のうちのひとつを返せって言ってんの。忘れた? お前バカ? そういうこと言ってるとカード切るよ、こっちは。……ああ、全然、大したことじゃないから。怖がんないの。お前んとこの一年に田川っているでしょ。……そう。ちょっと問題を起こしまして。……ああ、そっちでもそうなの? 部長も大変だね。……うん。……こっちの用件は、田川に、明日一日、部活休ませたいってだけ。お前からの命令ってことで。簡単でしょ? ……そう。明日。じゃ、田川が部活に出てきたところで、教室に戻れって言ってくれる? 理由はなんとでも。部内には病欠で処理しといて。……俺? いや、俺は直接関係ない。だから大丈夫だって。穏便にすませるから。……ああ、お前、これだけじゃ全然足りないから。今後も督促((とくそく)は続きますよー。よろしくー。では」
 電話を切って、ヒロキ先輩は椅子に座った。にっこりと、仮面のような笑顔を浮かべた。
「ということで、田川くんは明日の放課後、教室に戻ってきます。マコちゃんも明日は生徒会お休みね。カオルには俺から言っとくから。このクソ忙しいときにマコちゃん休ませるなんて、カオルに怒られるの俺だよ。だから竹居くんには、田川くんとマコちゃんで貸し二つ」
 竹居に向かって、ヒロキ先輩がピースサインをしてみせる。
 竹居は黙って頷いた。ヒロキ先輩は机に頬杖ついて、首をかしげる。
「でもねぇ、竹居くんに返してもらえるようなこと、あるのかなぁ。君のこと、だいたい調べちゃったしね。お姉さんのことも知ってるしー」
 私の横で、竹居がヒロキ先輩を睨み付ける。
 ヒロキ先輩は平然と竹居の視線を受け流し、笑顔のまま話す。
「あ、マコちゃんとか野口くんとか先生たちからは聞いてないから、誤解のないようにね。三年生の中にはさぁ、一学期だけとはいえ、お姉さんと同じクラスの人がいたんだから。二年前のかわいいクラスメイトを覚えてる人もいるわけよ。で、昔のクラスメイトが全国紙のあの子と同一人物ではないかと思ってる人もいるんだよねぇ。ネットで調べれば本名なんてわかっちゃうし。でも君のとこには、上からそんな話は来てないでしょ? マコちゃんがあんまりにも君を庇(かば)うから、俺がさりげなぁく火消ししといたんだよね。ほんと感謝してほしいよねぇ。あー、これは貸し三つだなー」
 ヒロキ先輩のピースサインが、三になる。
「……そりゃ、どうも」
 竹居が仏頂面で礼を言う。
「だから、君について知りたいコトなんてないんだよねー。あるとしたら、君のココロの中身くらい? それで貸しをひとつ回収させてもらおうかなぁ」
 ヒロキ先輩の笑みが深く、物騒なものになる。私の持っていた書類を指さして言った。
「マコちゃん。それ、全校生徒分コピーして担任に配るやつだね。行ってらっしゃい」
「……ハイ」
 私はおとなしく席を立って、生徒会室を出る。
 八百枚近くコピーし、先生たちに配って戻ってきたときにはもう竹居はいなくて、ヒロキ先輩が竹居になにを聞いたのかは、わからなかった。
 私は椅子に座って、ぼうっとしていた。
 ヒロキ先輩が向かいの席から、優しい顔で、そっと言ってくれた。
「マコちゃん、ごめんね? びっくりしたでしょ? カオルの大事なマコちゃんを泣かせたキッカケだって思うと、むかついちゃって、ついつい手加減なしになっちゃった。悪いのは田川だし、竹居くんがいい子だっていうのは、わかってるんだけどね」
「……はい」
 ああ、ヒロキ先輩だ。仮面じゃない、いつものヒロキ先輩だ。
 竹居とのやりとりだって、怖かったけど、ヒロキ先輩は、竹居に不利なことは何ひとつしていない。
 竹居の頼みを、聞いてくれた。
 竹居のお姉さんのことが、バレないようにしてくれていた。私も竹居も、それを知らずにいた。
 ヒロキ先輩は竹居を守ってた。私が、竹居を庇うから。
 私が「カオルの大事なマコちゃん」だから。
 カオル先輩を、そのまわりを、まるごと守ってた。
「びっくり、しました」
 カオル先輩は、知っているんだろうか。
 こんなふうに、守られていることを。
「ほんとは、あんまり見せないんだけどね。裏の顔とか、実際のやりとりとか。でも、マコちゃんと竹居くんなら信用できるなって、思ったから。カオルには、内緒ね」
 いつかのように唇に人差し指をあてて、ヒロキ先輩がそっと笑う。
 ああ。
 裏の顔をみて、それでも、私はこの人を好きだと思った。
 だけど、どうか、この人の気持ちが、カオル先輩に届いて欲しい。
 そう、強く強く、願った。
 だから、「内緒にします」と答えて、精一杯、笑顔を浮かべた。



 さくら色 
2016-01-08 | Posted in さくら色Comments Closed 

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