18.これ以上は、無理だ

 さくら色 

「沢野。いい加減、起きろ」
 乱暴に揺すられて、ぼんやり目を開ける。
 ああ、なんか体が軽い。
 竹居ベッドの威力はすごいな。
 しかし、この、すっきり感。って……。
 もしや寝過ぎたか!?
「なっ、何時!?」
 あわてて跳ね起きた。
「八時半」
 げっ。
「たた竹居、ごめん、寝過ぎた。航太くん帰ってるよね? 晩ご飯作れた?」
「それはまぁいい。お前、寝てただけだしな。メシは作った。帰れ」
「うん。ほんとごめん」
 あわててベッドから抜け出す。
 あ、スカートしわくちゃ。
 ブレザーとコートを着て、カバンを手に急いで部屋を出ようとすると、呼び止められた。
「待て。お前、これどーすんだ。記念」
 ちゃぶ台の上の、紙パック。
 どうしよう。
 持ってても、確かに、しょうがないしな。見るたびに傷が開く気がするしな。
「あー……」
 どうしよう。ええと、困ったときの竹居頼み。
「任せる」
「あのな。俺は保管しねぇぞ。捨てるからな」
「……うん」
 私がうなずくと、竹居は、その場で部屋のゴミ箱に放り込んだ。
 そんな簡単に捨てるか。
 うう。竹居め。
「こんなもんだ。さっさと忘れろ」
 こんなもんって。
 竹居が言うなら、そうなのか。「こんなもん」なのか。
 部屋を出ると、リビングに航太くんがいた。
 小学五年生になったというのに、相変わらずかわいい。
「やっぱり、にーちゃんのカノジョ?」
 振り返って、首をかしげて聞いてくる。
「友達だ。航太、留守番してろ」
「うん」
 素直に頷いて、航太くんはテレビに戻る。
 私が玄関を出ると、ジャージにダウンジャケットを羽織って、竹居もついてくる。
「竹居? ひとりで帰るよ、私。コンビニでも行くの?」
 いつもひとりで帰ってる時間だし。
「いや。お前に話がある」
「あ、そうなの?」
 珍しいな、竹居から話があるなんて。
 竹居って、いつも聞き役なんだけどな。
 そう思いながら、外階段を下りた。
 竹居の家から私の家まで、歩いて十五分くらいだ。
 私の隣をゆらゆら歩きながら、竹居が言う。
「お前、俺と付き合ってんのかって聞かれるだろ」
「うん」
 よく聞かれる。みんなそういう話好きだしな。
「聞かれて、お前、何て言ってんだ」
 えーと。
「付き合ってない。竹居は友達。親友。コンビ。相棒」
 そのくらいか?
 他に、なんかあったかな。
 あ。
「あと、助っ人。恩人」
 言い終えると、竹居がふんと笑った。
「まぁ、そうだな。当たりだ。俺もそんなもんだ」
 けどな、と竹居が続けた。
「お前が言わないこと、俺は言ったことがある」
「へぇ。何て?」
 竹居のことだから、バカとかアホとか?
「俺は沢野を好きだけど、沢野はそうじゃない」
 は?
 ぽかんとして言い返す。
「いや、私も竹居好きだよ?」
 好きじゃなかったら部屋行かないし。
「そういう意味じゃねぇ。恋愛のほうだ」
「は……?」
 恋愛? 恋愛って、私と竹居の間で?
 おい、と突っ込みそうになる。
 そんな雰囲気になったこと、一回もないじゃん。
 あんた、私の恋愛相談に普通にのってるじゃん。
 何だ?
 ブラックジョークか?
「誰に言うのよ、そんなこと」
「野口とか。真面目に聞かれたときはそう答えてる」
「あ、野口くん……」
 ってことは、何か?
 私が野口くんに告白されるの、竹居は知ってたってこと?
「最近もな。なんか女に告白されたときは、そう言ってる」
「はぁ……」
 何だ?
 話がみえない。
 何が言いたいんだ、竹居。
 こっちは寝起きでぼーっとしてるんだ。
「沢野。お前、いい加減、俺を男として認識しろ」
 なんか話が飛んだ。
「してるけど。どこからどう見たって男でしょ。竹居」
 ていうか。
「竹居のほうが、私を女扱いしないんじゃん。男扱いしてるじゃん」
 竹居に、丁寧に扱われた覚えがない。
 いつも手荒に扱われて。頭はたかれて、無愛想で。まぁそれが竹居のデフォルトだけど。
 中学の時だって、クラスの女子と話すときの方が、よほど穏やかじゃなかったか?
「それは俺の性格だ」
 はぁ。そうですか。
 話が見えない。
「竹居。何言ってるのか、よくわかんない」
 言ったら、竹居がため息をついた。
「お前、バカだな」
 だから、そんなんじゃん。竹居の私に対する扱いって。
「今日、思ったけどな。ここらでそろそろ限界だ。お前、無防備すぎる。好きな女にベッドで寝られて、襲わなかった俺の理性に感謝しろ。敬え」
 顔がひきつる。
 なんか、わかった。
 好きって、そういう。
 そっちの好きか。
 しかし。
「た、竹居、お前なんか誰が襲うかって、言ったじゃん!」
「お前な。何年前の話だ」
「……三年?」
「だろ。俺もいい加減そういう年頃だ。しかもそれは三年前でさえ嘘だ」
「う、嘘って……」
 絶句する。
 じゃぁ何か。三年前から、私はそういう対象か。
「ちょっと、待って。待った」
 何なんだ。
 どういうことだ。
 これまでのあれこれを思い出してうろたえる。
 私、誰もいない竹居の家にしょっちゅう遊びに行って、泣いたり宿題したりしてた。
 竹居は微塵(みじん)もそんな気配を出さなかったというのに、あれが全部危なかったって言うのか。
 そんなのありか。
 そんなこと、ありえるのか。
 竹居は待たなかった。
「はっきり言うとな。俺はお前が好きだ。恋愛の方の、好きだ。三年前からだ。お前がガラス割った俺を助けたときからだ」
 仏頂面で。
 だからそれが告白する態度か。
 まだ、冗談じゃないのか、って思ってる自分がいる。
「返事はいらねぇ。わかってっからな」
 そうだよね。
 竹居、ずっと私の恋愛相談にのってきたんだから。
「けど、もう危ねぇから。お前、俺んちには、もう来るな」
 がつん、と頭を殴られたような衝撃がきた。
 泣きそうになる。
 もう、来るな。
 それは、あの場所を失うってこと。
「相談には乗ってやる。ただし学校か、ケータイにしろ」
「竹居」
 やだ。
 やだよ。
 どうして。
 涙が出る。
「寝ちゃったこと、謝るよ。ごめん。今度からしないから」
 だから。
 あの場所を取り上げないで。
「絶対、寝たりしないから。やだ」
 立ち止まって泣き出した私を、竹居が見下ろす。
 慰めてくれない。ティッシュもタオルも出してくれない。
 こんなの、やだよ。
 竹居のダウンジャケットをつかもうとして、手を振り払われた。
「沢野。よく聞け。俺はもう無理だ。これ以上は、無理だ」
 だから、と竹居の声が続ける。
 静かな声で、ゆっくり、はっきり、言った。
「お前は、もう来るな」
 家に、たどりつく前に。
 私を置いて、竹居はきびすを返した。
 私は呆然として、竹居が帰っていくのを見ていた。



 さくら色 
2016-01-08 | Posted in さくら色Comments Closed 

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