1-2.渦巻く疑問
家に帰って風呂に入り、そういえば、とカバンからICレコーダを取り出す。ベッドに転がって再生ボタンを押した。
『すみません、ほんとうに』
謝ったのはノアの声。
いいわよ、と中村さんが笑う。それでも何度もノアが謝るので、黒石が割って入った。
『上田、あんまり時間ないから。中村さん、すみません。始めさせてください』
中村さんはうちの高校を卒業後、大学在学中に一年休学し、カンボジアで農村を支援するというNGOに参加していた。大学を卒業して、そのNGOに就職し、今では代表を務めている。
黒石が、中村さんに次々と質問を投げかける。NGOに触れたきっかけ、大変だったこと、どういうところにやりがいを感じるか、高校生に向けてのアドバイス云々。おおまかな質問事項は、事前に沢野から聞いていた。
中村さんの話を遮らないよう質問の順番を適宜変え、失礼にならない程度に笑って場を和ませながら、黒石が上手いこと台本をなぞっていく。
講演会などで話し慣れているのだろう、中村さんも滑らかに答えていく。高校生向けに話しているということを除けば、その内容はほとんど、中村さんの著書にあるものと同じだった。
インタビューの意味、あんまりなかったかな。
そんなことを思いつつ、減っていく再生時間を眺めていた。
相づちを打つだけだったノアが、現地スタッフについて話している中村さんに、ふと聞いた。
『あの、何か、ありましたか』
『え?』
話を途中で遮られて、中村さんが声を上げる。
『何か……、辛いことが、ありましたか』
信頼していた現地スタッフに金銭を盗られたり、他のNGOにスタッフを引き抜かれたり、苦労話なら、ちょうど聞いているところだ。ノア、お前は一体なにを聞いてたんだ。
『ああ』
中村さんが苦笑した。
『たいしたことじゃないの、全然。だけど、ちょっとね。あなたたちに話すようなことじゃないかもしれないけど』
間が空く。
『はい』
唐突に、ノアが言った。また、間が空く。
『お聞きします。あの、どうぞ』
ノアが促すと、かすかに、中村さんがため息をついたような音がした。
『日本の大学生の女の子たちが、NGOを手伝いに来てくれるの。男の子はほとんど来ない。意欲を持って来てくれるのは、たいてい女の子ね。大学を休学して、日本でアルバイトしたお金をためて、渡航費も生活費も全部自分で払って、無償で活動に参加してくれるの。昔の私みたいにね。彼女たちも、学生でしょ。裕福な訳じゃないのよ』
中村さんが言葉を切る。
『はい』
ノアが相づちをうつ。
真剣に聞いているのだと、それだけが相手に伝わるような声だった。
『でもね、現地のスタッフは、彼女たちを日本人だとしか思わない。外にお昼を食べに行く時なんか、自費で来てる彼女たちが、お給料をもらってる現地スタッフに奢ることになるの。それが普通になっちゃってるの。慣例っていうのかしらね。私が学生だった頃から続いてるから、もう、十数年もそんな感じ』
『はい』
静かなノアの声が、先を促す。
中村さんは全部吐き出すように言った。
『現地スタッフも、近所の人たちも、若い男の人は、そんな女の子たちとくっついたりしてね。付き合うようになったら、デートも何もかも、女の子が支払うの。お金目当てだって、女の子たちも薄々わかってる。だけど、好きになっちゃったらしょうがないでしょ』
『……はい』
ノアが小さく答える。
『好きになったら、しょうがない、です』
『でしょ』
ふふ、と中村さんが笑った。苦しいのを隠したような、笑い方だった。
『まずは現地スタッフの意識を変えなきゃいけないとは、思うけどね。女の子たちもお金持ちじゃないのよって、いくら、言ったって……スタッフに、伝わらないの。だって日本は豊かだろって、その繰り返し。スタッフの言い分も正しいの。日本は、豊かね。簡単にお湯が出るものね』
『お湯が、出ます』
ノアが繰り返す。中村さんが聞いた。
『どうしたらいいのかしらね。上田さん、どうしたらいいと思う?』
ぞっとした。なんでだ。カンボジアでNGOの代表やってるような強い人が、なんでノアに聞く。あんなポンコツに。隣に有能な黒石がいるってのに。
『どうしたら、いいんでしょうか』
ポンコツはそう言っただけだった。何も答えを返さなかった。粘り強く現地スタッフを説得しろとか、逆にもう、仕方ないとか、いくらでも答えようはあるというのに。
『……わかりません……』
ポンコツが呟いた。
『ただ、中村さんは、とても強い方だとわかります。苦しんでいらっしゃるのも、わかります』
場が静まった。
『ありがとう』
中村さんは、笑った。
『カンボジアが少しでも豊かになるしか、解決方法はないのね。私はそのために活動してるんだもの。へこんでる暇なんかないわ。……記事ができたら、送ってね』
『さっきのお話は、記事にして大丈夫ですか。中村さんは、大丈夫ですか』
ノアが聞いた。こんな話、著書に載ってない。これを記事にしないでどうする。
中村さんが断らないことを祈った。中村さんは言った。
『大丈夫よ。上田さんが言ってくれたじゃない。私は強いんでしょう。NGOは、ほんとはこういうところで、苦しくて、それでもやってるんだって、伝わるといいな』
『はい』
ノアはそれだけ答えた。いい記事にします、とも何も言わなかった。
黒石が引き取った。何日頃に第一稿ができるので、チェックしていただいて掲載許可をいただいてから載せます、発行した文集は中村さんにもお送りします、と早口で伝えた。
『ありがとうございました』
ノアと黒石が、声を揃えてお礼を言った。
『こちらこそ、ありがとう。いつかカンボジアに遊びに来てね。世界を、見てね』
中村さんが答えて、『はい』と二人が返事をし、そこで録音は終わった。
ノア、お前。
中村さんと、たまたまチャンネルが合ったって、そういうことなのか。
それとも違うのか。中村さんはお前だからしゃべったのか。あんな赤裸々な話。
ICレコーダを巻き戻す。
『あの、何か、ありましたか』
ノアが気づいた。中村さんの何かに。
その前を何度も聞く。
わからなかった。中村さんは滑らかに話していた。その途中で、いきなりノアが割り込んだ。
何に気づいたんだ。音にならない、表情か何かか。
黒石も気づいたのか。
明日黒石に聞けばいいと決めて、渦巻く疑問を追い払った。