4.ポンコツ。見抜いたのか。
4.体育祭二ヶ月前、金曜日
放課後ゆっくり話をできる暇などないので、翌日の金曜、昼休みに沢野のクラスへ行く。
女子と談笑していた沢野を呼んだ。
「沢野、ちょっと」
「ん、どしたの?」
女子の輪を抜け出して、沢野が寄ってくる。
「お前、昨日体調悪かった?」
俺の質問に、沢野が驚いた顔をした。
「バレてた? 普通にしてるつもりだったけど」
ポンコツ。見抜いたのか。
内心の動揺を隠し、平静を装って聞く。
「風邪? 今日は平気?」
沢野の顔色をチェックしてみるものの、いつもと変わらないように見えた。今日も体調が悪いようだったら、体調が悪化する前に仕事を引き受けて帰さねば。沢野が倒れて数日休む、なんてことになったら仕事が回らなくなる。
「んとね、生理。昨日二日目でさ。あ、私、二日目が一番きついんだよね。だから今日はもう平気」
平然と健康状態を返される。沢野。俺、男なんだけど。
なんかもう少し言い方がないのか、と呆れるが、聞いておく。
「昨日は、どんくらい悪かったわけ?」
「んー、貧血直前?」
しれっと返されて、沢野の頭をはたく。
「お前。言えよ。一日休ませるぐらい余裕あったぞ」
「まぁ、ねぇ。それはわかってたけど。ギリギリいけるなって思ったし。実際、行けたし」
ベテランらしく自分の状態をみて綱渡りしたのか。内心嘆息し、さらに確認する。
「貧血になるとどうなる?」
「あー、吐くね。それで、数時間動けない。床に転がる」
その答えに沢野を睨む。
「あのな。そうなったらやばいだろ。だから次からちゃんと言え。二日目ならそう言って休め」
「なによ、生理周期を申告しろっての?」
沢野が笑う。
「違うわ。俺がお前の生理周期知ってどうすんだ。それは彼氏にでも言え。だから沢野は、体調が悪いときはそう言え。お前がダウンしたら仕事が滞るし、第一、吐くとか沢野が辛いだろ。そういうときは保健室に行くなり帰るなりして寝てろ」
「あらま。会長ってば優しいじゃん」
普段優しくないような物言いにむっとする。
「俺はいつも優しいだろが」
まぁ、生徒会長としての建前も大いに入っているが。
「そりゃ、優しいけど。わかりましたよ、言いますよ。頼れる会長様にね」
おどけて沢野が肩をすくめる。
「いいな、言えよ。じゃぁな」
「はーい」
ひらりと手を振る沢野を背に、体育委員長の吉岡のクラスへ向かう。
吉岡は自分の席で体育祭の演目表を眺めていた。俺はその演目表を取り上げる。
「お前、昼休みに仕事するな。放課後やれ。生徒会の時間内に収めろ。キリないぞ」
「あー」
吉岡が、困ったように俺を見やる。
―――忙しくなってきて、手が回らない、と、感じていらっしゃるように思えました。
昨日のポンコツの言葉をそのままなぞってみる。
「さすがのお前でも、忙しすぎるな。手が回らないか。人がいる?」
「んーと」
吉岡が言葉を濁す。
―――自分にできるのかと、自信をなくしかけているように見えました。
なるほどな。
吉岡は弱音を吐かないタイプだ。
「あのな、お前はよくやってる。俺はお前ならできると思って期待してるし、任せてる。だけど一人で抱え込むな。チーム戦だ。何で困ってる? 言ってみろ」
しばらく無言になった吉岡が、歯切れ悪く言った。
「その、体育祭当日、さ。ボランティアで手伝い出してもらうじゃん。それの指示出しできるやつが、足りない」
「そっか。何人いる?」
「一人でいいんだけどな。任せられるやつがいないっつーか。うちの委員会のやつら、主力には他の係を割り振ったから、残りのやつだと、ちょっと……頼りない」
吉岡の顔を眺めて聞く。
「頼りないのは、一年?」
吉岡がためらって、頷く。
「そしたらな、三浦をそっちに回すわ。んで、その頼りない一年も、一緒にやらせよう。学ばせとかないと来年困るだろ。どうよ?」
「え。三浦だったら、すげぇ助かる、けど……そっちはいいの?」
吉岡が目をみはる。三浦は副会長だ。俺の補佐をしている。
「いい。生徒会は俺と沢野と水原で、ぶん回す」
はは、と吉岡が笑った。
「さっすが、会長。沢野と水原かわいそー」
「あいつらベテランだからな。いけるだろ」
俺も笑う。軽口の裏で、吉岡がほっとしたのがわかった。
「吉岡、困ったら早めに言えよ。無理するな。仕事を家に持ち帰ったりするなよ」
「あー、うん。そーだな」
吉岡が首をすくめる。こいつは仕事持ち帰ってやってたんだなと、これまた内心嘆息する。
「根詰めるな。お前は元々できるやつだし、今でも充分できてるから、少しペースゆるめろ。仕事は時間内でスパっと切れ。間に合いそうになかったら、ちゃんと言え。間に合わないのはお前のせいじゃないんだ。人手調整とスケジューリングは俺の仕事。いい?」
「わかった」
吉岡が頷く。
「じゃ、これ没収な。放課後一緒にやろうな」
演目表を手に、俺は自分の教室へと引き上げた。
* * *
「はい、全員集合!」
夜七時、会議室に全員を集める。生徒会メンバーだけでなく、体育委員会、そして体育祭を臨時で手伝ってくれる有志のやつらもいるので、人数が三十数名に膨れあがっていた。
今日中の仕事が終わってないやつ、期限の危ない仕事を持ってる人、といつもの確認をした後、ポジション替えを発表する。三浦には事前に話を通していた。
「来週から、副会長の三浦は体育委員長の下につける。体育祭が終わるまで、副会長ポジションはノア」
場がどよめく。ノアのポンコツぶりは、生徒会メンバーなら皆知っている。
体育委員会の末端と臨時の有志たちの中にはノアと面識のないやつもいるだろう。三重ぐらいになっている輪の、一番後ろにいるノアを呼んだ。
「ノア、前に出ろ」
「は、はい」
怯えた様子で、ノアが前に出てくる。俺はノアの手を引っ張って、輪の中心に立たせた。
「一年六組の上田乃亜。期間限定で副会長代行。全員、ノアの顔覚えてな。それで、気になることがあったら、俺かノアに言え。体調が悪いとか、仕事で困ってるとか、愚痴でも心配事でも、なんでもいい。それから、ノアには全員のこと聞いて回らせるから、邪魔かもしれんが、ノアが話しかけてきたらとりあえず会話してやってくれ」
皆が不思議そうに顔を見合わせる。
「とにかくよろしくな。それから、仕事を持ち帰るのは厳禁だ。時間内に終わらせるのが今年の方針だ。仕事が時間内に終わらないのは俺のスケジューリングのせいだから、遠慮せずに報告しろ。フォローする。じゃ、今日はノアだけ残って、解散。今週は終わりだ、また来週もよろしく。おつかれ!」
お疲れさまでしたぁ、と全員が頭を下げる。各自帰って、俺とノアだけが会議室に残る。
「あああ、あの、副会長代行とは、私にはとても」
ノアが泣きそうな顔で言ってくる。
「副会長代行は名前だけだから気にするな。お前は俺の直属ってだけ」
「は、はい?」
単刀直入に言うことにする。
「だからな、俺もお前に副会長が務まるとは思ってない。お前に三浦並の働きは期待してない」
「あ、そう、ですよね。び、びっくりしました」
泣き笑いのような顔でノアが言うので、その頭をぽんとなでた。
「記事はどうなってる?」
「は、はい、あの、できました」
おや。沢野は三日かかると言っていたし、昨日の様子では一週間かかってもおかしくないと思っていたが、もうできたのか。
「へぇ。じゃ、月曜にプリントアウトして見せて。プリンタ壊すなよ。使い方わかんなかったら沢野に聞け」
「はい」
ノアが頷く。会議室を閉めて、生徒会室に向かう。ノアがついてくる。
備品棚から新しいノートを一冊取り出して、ノアに渡した。
「記事が終わったなら、お前は来週から別の仕事だ。まずはこのノートに名前を書け」
「はい」
ノアが、机の上に転がっていた油性ペンで、表紙に名前を書く。一年六組 上田乃亜。
俺はそれを眺めていたが、こいつのうっかりぶりではノートそのものをなくすか、と、赤の油性ペンを手に取った。
『このノートを拾った方は、生徒会長・二年二組 滝川 彰までお届け下さい。〇九〇-〇〇〇〇-〇〇〇〇』
ノアの名前の上にでっかく書いておく。ノアは黙ってそれを見ていた。
「お前の仕事は、来週から、全員を見て回ること。生徒会だけじゃなく体育委員会と有志のボランティアも。そんで、こいつ不安そうだなとか心配してそうだと思ったら、話を聞いて、名前とクラスとそいつの仕事と悩み事、ノートにメモしとけ」
「は、はい」
ノアが頷く。が、どうせ忘れるだろう。その場でノートを開かせた。
「今のうちに書け。名前、クラス、仕事、悩み事」
「はい」
真新しい一ページを指さしながら、ボールペンで項目を書かせる。
「でな、毎日帰りがけにノートを俺に提出しろ。急ぎでやばいやつがいたら、俺が打ち合わせ中だろうと何だろうと、電話かけてこい。お前の連絡を最優先にする」
「あ、えと、はい」
「俺の電話番号、これな」
ノートを閉じて、表紙を示す。
「はい」
「お前の番号は?」
「あ、〇九〇―……」
ノアの番号を、携帯電話に登録しておく。着信があったら他のやつらとは違う音で鳴るようにしておいた。
「じゃ、帰っていいぞ」
「あ、あの、会長は」
「ん、書類もーちょいやってから帰る」
会長決裁の書類が溜まっていた。最終下校時刻まであと三十分。
「あの、待ちます」
ポンコツに待たれても何の意味もないのだが、まぁ好きにさせるか。
生徒会室の一番奥の会長席に座る。申請書類箱に溜まった書類に目を通しつつ、ノアが声の届く範囲にいるので聞いてみる。
「今日は? 気になった人いた?」
「あ、ええと、会長は、昨日より少しお元気になりましたね。土日でゆっくりなさってください」
はぁ。
「あのな、俺のことはいい。他のやつのことを言え」
「あ、はい、今日は……、黒石くんが苦しそうでした」
苦しそうって、何がだ。どうもこのポンコツは要領を得ない。書類に判を押しながら聞く。
「何が苦しそう?」
「お仕事が、少し、多いのではないかと」
黒石はできるやつだ。成長を促す意味も込めて、重めの負荷をかけている。
「どのくらい苦しそう?」
若干苦しい程度ならば狙い通りだ。俺もそうやって先輩たちに鍛えられてきた。
「泣いているように、見えました」
俺は「どのくらい」と聞いているのだが。相変わらずずれているノアの答えに意表をつかれる。書類から顔を上げてノアを見た。
「泣いてた? 黒石が?」
「あ、いえ、実際には泣いていないです。すみません」
ノアが慌てる。どうにも噛み合わない会話に苛立ちを感じつつ、辛抱強く確認する。
「黒石、お前から見てやばいなってぐらい苦しそう? それともまだ大丈夫?」
「……わかりません」
ノアが俯く。使えなねぇな、おい。
結局のところ、ノアは情報を拾ってくるだけか。分析と対処は俺の仕事だな。
「あ、そう」
月曜、黒石に直接話を聞くことにして、書類に目を戻す。
「会長、あの、ほんとうに、おそらく、なのですが」
ノアが自信なさそうに、おずおずと言う。
「私としては、ギリギリのところで、こらえているように見えました。あと髪の毛一本ぐらい、です」
おいポンコツ。そのわかりにくすぎる例えは何だ。
「髪の毛一本って、仕事で言うと何?」
聞くと、ノアが黙る。沈黙の末に答えた。
「ICレコーダを備品棚からとってくる、ぐらい、です」
その答えに脱力する。聞いた俺が馬鹿だった。お前ならICレコーダを探すのも一苦労だろうが、黒石にとっては何でもないことだ。このポンコツと黒石では仕事の大変さの基準が違う。
ポンコツにとってICレコーダってことは、黒石だと議事録一本ぐらいか、と解釈する。
「わかった」
返事をすると、ポンコツが聞いた。
「あの……、ほんとうに、伝わっているでしょうか」
「うん。伝わった」
言い切って、書類に判を押していく。
しばらく俺を見ていたポンコツが、再びおずおずと言った。
「すみません。たぶん、伝わっていないです。私の言い方が、良くなかったです。あの、私にとってでは、ないです。黒石くんにとって、ICレコーダをとってくるぐらいです。それくらいのお仕事でバランスが崩れるように、みえました」
思わず顔を上げた。ありえないと思いながらも、聞く。
「お前、人の考えが読めるとか、そういうの? 超能力系?」
ノアがぎょっとしたように首を振る。
「まさか。読めたらもっと……、もっとお役に立てると思いますが」
だよな。ノアが超能力者ではないことに安心し、だったらその勘の良さは一体何なんだ、と、ノアの顔を見る。
「俺が今、何考えてるか、わかる?」
ぴたりと俺と目を合わせた後、ノアは俯いた。
「わかりません。でも、何か疑問に思っていらっしゃるのかなという気は、します」
当たり、だ。
「へぇ」
呟いて、片づいた書類を決裁済みの箱に投げ込んだ。最終下校時刻が迫っていた。
「ノア」
名前を呼ぶと、ノアは顔を上げた。
「はい」
「マック行こ。奢る。時間平気?」
「あ、はい。平気です」
ノアが頷く。こいつはほんとに逆らわないな、もはや人形みたいだな。
戸締りをし、ノアを連れて、生徒会室を出た。
* * *
マクドナルドで、自分のアイスコーヒーとノアのバニラシェイクを頼む。今週だけでノアとのマックが三回。
「飽きないの? たまには他の味にすれば?」
席に座って、ノアの紙カップを指さす。ノアが手元のバニラシェイクを見下ろした。
「飽きないです。不思議な味です」
ただのバニラだろ。お前が不思議だよ。
呆れて、聞こうと思っていたことを一瞬忘れた。
何だっけ。そう、こいつの妙な勘の良さ。
相変わらず向かいの席で身を竦(すく)めているノアに声をかけた。
「仕事の話じゃないから。まぁ、そう怖がるな」
「はい。あの、怖がってはいないのですが」
ノアが顔を上げる。俺にはノアが怯えているように見えるのだが。
こいつ、勘が鋭いしな。俺の内心の苛立ちなんかも感じるのか。
気をつけなきゃな。ポーカーフェイスを作る。
「そう。まぁいいけど。で、ノアは、なんでそんなに勘がいいわけ?」
「カンがいい、ですか」
ノアが目をみはる。
「いい。沢野のことも吉岡のことも、俺は気づかなかった。少なくともお前は俺より勘がいい」
きっぱりと言っておく。
「自分で心当たり、ある?」
ノアは答えない。困ったように、バニラシェイクを見ていた。
「別に、嫌なら言わなくていいけど。ただの興味本位だから」
「いえ、あの、カンというのが、よくわからなくて……すみません。どういう意味でしょうか」
意味とな。
携帯電話を取り出す。適当にメール画面を立ち上げて、「勘」という漢字を見せた。
「この勘だけど」
「あ、そういう字なのですね。ええと……」
ノアが自分の携帯電話を取り出して操作する。しばらくして言った。
「物事を直感的に感じる能力ですか。第六感……そんなのが、私にあるということでしょうか」
あっけにとられてノアを見る。こいつ、「勘」の意味がわからなかったってこと?
「ちょっと貸して」
ノアの携帯電話を奪い取って見れば、案の定、ノアはネットの国語辞典に「勘」で検索をかけていた。
俺たちが通っているのは県下一の進学校だ。中学でトップ十に入るくらい成績がよくないと入学できないはずなのだが、どういうことだ。
俺の視線を受けて、ノアが俯く。
「すみません。日本語が、まだ苦手で。ことわざなどを、なかなか覚えられないです」
日本語が苦手って何だ。しかも「勘がいい」はことわざではない。
「お前、帰国子女? それとも生まれが外国?」
聞いてみると、ノアは頷いた。
「はい。あの、帰国子女、です。小学一年生のときに、ブラジルに行きまして、中学二年生のときに帰ってきました。日本に帰ってきてもう二年経つのですが、まだ慣れないところがありまして。たぶん、たまに言葉遣いがおかしいですよね。……すみません」
ぺこりと頭を下げた。
「いや、日本語はおかしくないけど」
会話が噛み合わないのは、そのせいなのか。日本語の微妙なニュアンスが拾えないのか。
いやしかし、それは、帰国子女というよりはこのポンコツな性格由来じゃないか?
「ブラジルねぇ。そりゃまた遠いところに行ったもんだな。インターナショナルスクールとかに通ってたわけ?」
アイスコーヒーを飲みながら聞いてみると、ノアは首を振った。
「いえ、現地の学校に行きました」
「じゃ、ポルトガル語が話せるってこと?」
「あ、はい。主に。ブラジルでもいろいろなところに引越しましたので、ドイツ語と、北イタリア語と、ポメラノ語と……先住民族の言葉もありますので、他にも色々使ってました」
「へぇ」
なんだこいつ、バイリンガルどころじゃねぇな。実はすげぇ頭いいのか?
話が逸れそうになったので、軌道修正する。
「で、お前はなんでそんなに勘がいいのか、ってことなんだけど」
そうか「勘」がわからんのか。言い直す。
「ノアが人の気持ちに気づくのは何でだ、ってこと」
俯いて、ノアがバニラシェイクを見つめる。
「たぶん、ブラジルのせい、ですね。ブラジルへ行っても、一年ぐらいずっと、言葉がわからなくて、仕草や表情で……みんながどう思っているのか、見ていました。地域によって使う言語が変わりますので、転校するたびに言葉を覚え直していたのですが、笑顔などは、どこへ行っても共通なのです。ですから、言葉より、目で見て、相手の気持ちを知ろうとする癖があるのだと、思います」
なるほど、そのせいか。納得する。
「すみません」
ぽつりとノアが謝った。
「なにが?」
ノアは答えなかった。いえ、と、曖昧な表情を浮かべた。